ビバハウスだより

 ビバハウス便りのご紹介が数年間更新がとまり、更新を楽しみにされて
   おりました方々へは期間が空きすぎ大変に失礼いたしました
  今後は今までの遅れを取り戻す様順次、ご紹介が遅れている
  ビバハウス便りをアップして参りますので、よろしくお願いいたします

(2002年以前のものは、「過去ログ」のほうで見てください)
 

51 ※今後のビバハウス便りは、印刷したり保存したいと言うご希望も有りましたので
     PDFファイルにてダウンロードして、ご覧頂く形となり印刷はA4用紙にて印刷が
     可能となりました。

   

ビバハウス便り 118号 「ビバ農業実践塾」3年目のスタートを切る  NEW
ビバハウス便り 117号 新しい働き手を迎え、若者達と次のステップへ  
ビバハウス便り 116号 一年間の感謝と近況のご報告  
ビバハウス便り 115号 久方ぶりのアウトリーチ  
ビバハウス便り 114号(特別号) 暑中のお見舞いと近況のご報告〜ビバ農業実践塾(モンガク農場)で初収穫  
ビバハウス便り 113号 新たなメンバーを迎え入れ 活気づくビバハウス  
ビバハウス便り 112号 北星余市の存続を何としても勝ち取ろう!  
ビバハウス便り 111号 自分たちの春を呼び寄せる若者達  
ビバハウス便り 110号 新しい年を若者と共に切り開く 
ビバハウス便り 号外 第5回日本臨床教育学会
ビバハウス便り 109号 ついに来た!「大学生受難」の時代 
ビバハウス便り 108号 何としても、ビバハウスを守りたい!〜全国からのご支援で危機を脱出〜
ビバハウス便り 107号 つくば市に続き、今度は和歌山からのお母さんの応援〜最大のピンチを救って下さる
ビバハウス便り 106号 ビバのピンチの救い主・卒業生のお母さん
ビバハウス便り 105号 ビバハウスに15度目の春到来
ビバハウス便り 104号 ピンチをチャンスに
ビバハウス便り 103号 新しい望みの春をめざして!
ビバハウス便り 特別号外 北星余市高校教育実践シリーズNo.2
ビバハウス便り 102号 北星学園余市高等学校創設50周年
ビバハウス便り 101号 ついにビニールハウス・パイプ組み立て完了!
ビバハウス便り 特別号外 (北星余市高校教育実践シリーズNo.1)「これぞまことの教育!さあみんなで体育館に行きましょう!!」
ビバハウス便り 100号 これからも、ただひたむきに歩み続ける
ビバハウス便り 99号号外 ビバハウスとNNPO法人農業塾「風の学校」との共同事業について
ビバハウス便り 99号 「ビバ農業実践塾」具体化に着手
ビバハウス便り 98号号外

若者の人生の避難港〜ビバハウス

ビバハウス便り 98号 若者の未来を開く「ビバ農業熟」
ビバハウス便り 97号 初夏の輝きにみちて
ビバハウス便り 96号号外 「春は名のみの〜〜〜
ビバハウス便り 96号 若者たちの春はいつ来るのか?

ビバハウス便り 95号号外2

武庫川女子大大学院生、一般社団法人コアプラスの研修視察団を迎える
ビバハウス便り 95号号外 どうしても「合宿型」若者自立支援制度の復活を!〜「登町ビバハウス」再開1年に思う
ビバハウス便り 95号

毎日が修学旅行

ビバハウス便り 94号

超高齢化社会への一石〜「年寄り元気村」

ビバハウス便り 93号 9月1日・ビバ創設13周年を迎える
ビバハウス便り 92号

また新しい挑戦が突きつけられる!

ビバハウス便り 号外

ワーカーズコープ・リーダー合宿迎える

ビバハウス便り 91号 若者たちの自治活動の芽生え
ビバハウス便り 90号 特別号
ビバハウス便り 89号 若者達が再び・ビバハウスに帰ってきた
ビバハウス便り 88号 明けましておめでとうございます
ビバハウス便り 87号

一人の死者も出さなかった被災地の町・岩手県洋野町

ビバハウス便り 86号

天界の異常と人間界の異常には関連があるのか?

ビバハウス便り 85号 自立支援全道ネットワークの構築をめざして
ビバハウス便り 84号 求職者支援制度・農業実践科 第1期卒業式
ビバハウス便り 83号 11名の参加で第1回「同窓会」開催される
ビバハウス便り 82号 第1回「ビバハウス卒業生の会」誕生か?  
ビバハウス便り 81号 仁木長寿園・やすらぎの里で北星と共同で雪像作り
ビバハウス便り 80号 教育に自由を! 教師に創造性を!!
ビバハウス便り 新年特別号 
ビバハウス便り 79号 11年ぶり〜ビバとラミと二人だけの生活
ビバハウス便り 78号 日本臨床教育学会 第1回研究大会に参加して
ビバハウス特別版 ビバハウス略年史および現状
ビバハウス便り 77号 6ヶ月の合宿生活の成果〜「福島原発』にも負けない基金訓練第2期生の団結力〜
ビバハウス便り 76号号外2 6月20日 基金訓練第4期 赤井川教室を開講 !
ビバハウス便り 76号号外1 基金訓練合宿型最終コース・赤井川教室の開設を真近にして
ビバハウス便り 76号 こんな私でも、生きていて良いのでしょか

ビバハウス便り 75号号外2

求職者支援制度〜基金訓練に代わる新制
ビバハウスの挑戦 番外編 全道最過疎化の村で、『基金訓練合宿』を敢行!雑誌 Earth Zine Vol14原稿
ビバハウス便り 75号号外1 基金訓練の挑戦(2)〜最終第4期は、赤井川村・「森のテラス」で
ビバハウス便り 75号 原発被災地・福島県郡山市から若者を迎える
ビバハウス便り 74号 「基金訓練」の挑戦
ビバハウス便り 73号号外3 「基金訓練合宿」へ、問い合わせ、応募者が殺到!

ビバハウス便り 73号号外2

「基金訓練合宿」の廃止を乗り越えて、新しい発展を!
ビバハウス便り 73号号外1 『基金訓練合宿型自立支援プログラム』3月末廃止に断固抗議する!
ビバハウス便り 73号 新しい10年へ
ビバハウス便り 72号特別号外 ビバハウス 全体ミーティング「現在の門限午後10時を11時にして下さい」
ビバハウス便り 72号号外1 取材と訪問のラッシュ〜満10年の実績の重さか?
ビバハウス便り 72号 若者たちはどのようにして心の解放を実現して行くのか?
ビバハウス便り 号外C ビバハウス創設10周年・ビバハウス便り号外(その4)2010/10/15
ビバハウス便り 号外B ビバハウス創設10周年・ビバハウス便り号外(その3)2010/10/9
ビバハウス便り 号外A ビバハウス創設10周年・ビバハウス便り号外(その2)2010/9/20
ビバハウス便り 特別号外 全国の「限界集落」に、ニート、ひきこもりの若者の定着を図ろう2010/9/1
ビバハウス便り 号外@ ビバハウス創設満10周年・ビバハウス便り号外(その1)2010/9/1
ビバハウス便り 71号 大自然の中で、農業を中心に若者自立支援10年
ビバハウス便り 70号 「若者自立塾」廃止を乗り越えて、合宿型プログラムの実現へ
ビバハウス便り 69号 どんなに遅くとも春は必ず来る!
ビバハウス便り 68号 9名の高校入学者を送り出す春
ビバハウス便り 67号 厳冬を生きる若者たち
ビバハウス便り 66号 行政刷新会議の「若者自立塾廃止」決定に断固抗議する!
ビバハウス便り 65号 病院でもなく、また学校でもなく ビバ満9周年感慨
ビバハウス便り 64号 「北星余市高の教育の発展を願う会」結成の呼びかけ
ビバハウス便り 63号 「挫折をすがすがしく語る。そこから希望が・・・」
ビバハウス便り 62号 社会福祉士・森康彦さんを主任指導員として迎える
ビバハウス便り 61号 第4回社会的ひきこもり支援者全国実践交流会
ビバハウス便り 60号 完全不登校の"中学生”にも高校進学の夢を!
ビバハウス便り 59号 冬も働ける仕事が増えてきた!
ビバハウス便り 58号

高生研46回全国大会(青森)に参加して 

ビバハウス便り 57号 どうしても、若者たちに、冬も働ける職場を!
ビバハウス便り 56号 若者たちを一回り大きくしてくれた余市祭り
ビバハウス便り 55号 春は満開、新しい年度への挑戦!
ビバハウス便り 54号 春はもうそこまで!

 

53  53 初の出前Xマスプレゼント〜ひきこもりからお年より施設への訪問へ(2008,1)

臨時号 義家弘介さんの参院選・自民党よりの出馬について(200773日)
52 5回目のビバハウス家族会 (2007年10月)
51 ボランティア女子大生が見たビバハウス (2007年9月)
50  若者たちの父母に支えられた7年間(2007,7
49
 NHK深夜便と教育資料出版会(2007,5)

48 信頼できる大人にどれほど多く出会えるか?(2007/2)
〜若者たちの成長の鍵は何か?〜3回の「職セミナー」の事後検討会から

47 母親との信頼関係の修復こそ基本〜森下一先生に学ぶ(2007.1)
46
 若者の跳躍台としてのビバハウス(2006,10)

45 両親の離婚と少年16歳の心の空洞(2006,9)
44 農業体験を通じての若者自立支援(2006,8)
43
  千葉県中小企業家同友会女性部との交流(2006,07

42 新たな就労への挑戦〜ルスツリゾートのペンション〜(2006,5)
41 春の息吹を呼ぶ3人の高校受験生  (2006,3

40 めざましい成長をとげた若者たちの一年   (2005,12,30)
39 「ビバ塾」の若者達もみんな大切な「私の子供」 (2005,11)
38
  ビバハウス家族会  (2005,9,18

37 若者自立塾 (2005.8)

36 新しい春は新しい働き手と(2005,5)
35 若者達に学ぶ (2005,1)

34 
全て必要なものは備えられて!
33 18号台風が奪ったもの、持ってきたもの
32 次への飛躍のために!(2004,9)
31 「女性自身」そして「TBS」 (2004,7)

30 新しい命と夢の誕生(2004,6)
29 F君の挑戦(2004,4)

28 雪解けを待つ(2004,3) 
 

  ご挨拶 交通のご案内
  ビバハウスの生活 ビバPhotoアルバム(随時更新)
  ビバハウス便り(毎月更新) ビバハウス便り(過去ログ)
  トピックス(随時更新) ビバ活動日誌(随時更新)

 
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53 初の出前Xマスプレゼント
    〜ひきこもりからお年より施設への訪問へ〜(2008年1月)

新年明けましておめでとうございます。昨年中の変わらぬ、温かいご支援に心から感謝申し上げます。お蔭をもちまして、ビバハウスは昨年満7週年を迎えさせて頂きました。今年は新しい次の7年に向けてのスタートを切る年です。どうぞ本年も、変わらぬご指導、ご鞭撻をくださいますよう、お願い致します。

 今回は例年より早く、1221日からの冬休みに入った。新年は111日から再開、約20日間のお休みを頂くことにした。尚男68歳、私は65歳、ついに余市町からも「あなたもお年寄りの仲間に入りましたよ」との葉書も来た。ここ数ヶ月は、目に光が走ったり、蚊のようなものが飛んだりで、ものがよく見えなくなっていたが、眼科に通うこともできなかった。21日には、まず眼科に走った、午後からは歯科にもいけた。眼科では、老化による白内障の前兆だとの診断が出た。緊急の手当てをして頂いたお蔭で今はかなり穏やかな感じになることができ、少しほっとしている。
 お休みの直前19日と20日には、それぞれビバの女性ホームヘルパーが勤務している余市町内のグループホーム延寿園と仁木町のやすらぎの里へ招かれてクリスマスの訪問をした。延寿園では、手作りのプレゼントを一人一人にお渡しし、全員でト−ンチャイムの「きよしこの夜」の合奏をした。訪問を大変喜んでくれたおじいちゃんが、ソーラン節を突然歌いだしてくれたので全員で大きな手拍子で応えた。やすらぎの里では、全てのプログラムをつくって来てほしいとの依頼を受けたので、みんなで相談をして、K君には紙芝居(オスカーワイルド原作の幸せの王子)、T君の手品、Iさんの絵本の読み聞かせ(クリスマスのお客様)と全員のトーンチャイムの合奏をすることにした。利用者の皆さんには、ビバメンバー全員の手作りのプレゼントを一人一人に手渡した。あるお年よりは、「長く生きてきたが、こんなに心のこもったクリスマスの訪問を受けたのは初めてだ。」と涙ながらにビバのメンバーに語ってくださった。理事長の森先生の奥様からの差し入れの特大ケーキを最後にご馳走になりながら、若者達もここに来れて良かったとみんな嬉しそうな笑顔ばかりだった。引きこもっていた若者たちが、今度は外に出かけていって、皆さんを励まし、感謝されたのだ。正直ここまで来るのに7年かかった。一年を締めくくるこれ以上の喜びはなかった。

 少し長い休みにはなったが、さまざまな事情で、家に帰らない4人の若者たちにとって、『ユースピア職セミナー』でのつながりで、美瑛町の国立大雪青少年交流の家を中心に3つの宿泊先が確保できたことがとても有難い。各人の選択で、17歳のS君は一番相性のいい沢の村のポニーのいる佐藤さん宅へ、ログビルダー修行中のE君は、津幡農園で、元ログビルダーのご主人と家屋の改造工事のお手伝いをする。TさんとYさんの女性軍は、民宿ポテトの丘のお世話になる。ビバハウス以外に、若者たちが安心して過ごせる場所を確保できるようになるためには、やはりこれもそれなりの年月が必要だった。

『ひきこもりの若者と生きる〜自立をめざすビバハウス7年の歩み〜』

ようやく何とか完成できました。高文研(東京)より本年1月下旬に発売の予定です。12月末ぎりぎりまで最終校正で苦しみました。定価は1680円。高文研の電話は03−3295−3415、Faxは03−3295−3417です。ご一読いただければ、幸いです。

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臨時号 義家弘介さんの参院選・自民党よりの出馬について(2007年7月3日発行)

 私の大切な義家弘介さんへのメッセージ
 義家弘介さん、今回のあなたの自民党からの参院選候補としての出馬に対して、これまであなたを心から支援し、これからのあなたの活動に大きな期待を寄せていただいた多くの方々から、私の見解を求められましたので、私の率直な気持ちをお伝えいたします。
 先ずあなたの自民党からの出馬が本当に若者たちの期待に応えるものになるのかについて私は重大な疑問を持ちます。現代の若者たちの苦しみの根源は、まさにあなたが立候補しようとしている、自民党そしてこれと手を組む公明党の政治にあると私は思はざるを得ないからです。大企業の利益ばかりを優先し、若者たちに無権利の、低賃金、長時間の過酷な労働条件を押し付けている現代の日本社会の責任は政権政党である自民党が負うべきものです。この全体的な過酷な若者たちの就労条件が、ビバハウスの若者のように、大きなハンデを追った若者たちの自立に向けた就労を妨げる一番大きな壁であることを、毎日私たちは実感しているからです。
 あなたが「教育再生会議」の委員に就任するとの報道を聞いたときには、私は夫とともにあなたにお電話をし、「あなたの大切な息子さんのためにも、これからの日本の教育のあり方を曇らすようなことだけはしないでほしい」とお願いしました。残念ながら、この会議から出てきた答申は、どれひとつとして私たちが諸手をあげて歓迎できるものではありませんでした。教育にとって私が一番大切なものだと信じている、北星余市ではこれが完全に保障されたからこそあなた方に私が全力で取り組めた、教師一人ひとりの主体性、創造性を発揮させる方向とは全く逆行する提言ばかりで、本当にがっかりしました。
 あなたは『自分を救ってくれた北星余市の教育の火を消したくない』との純真な願いだけで、在職中に直面した母校の廃校の危機に立ち向かい、バイク事故の後遺症を抱えた体で、全国で講演をし、眠る間を惜しんで自らの生い立ちを記した『不良少年の夢』を出版し、母校を救ってくれた、私たちにとってかけがえのない、大切な卒業生です。あなたを信じ、あなたによって、生きる喜びを与えられた全国の若者たちに、本当に応える道は何なのかを、賢明なあなたは必ず見出してくれることを、私は今でも信じています。いつか必ず、あなたの願いが、私たちの願いと一致する日がくることを信じて、私はあなたたち若者たちとの生涯忘れられない日々を思い起こしながら、この北の地で、かってあなたがわたしに語ってくれた、あなたの『夢』が実現する日が来ることを祈りながら、今日もあなたを待っています。あなたにとってばかりでなく、仲人の夫と私にとっても誰よりも大切な奥様と息子さんのために、お体だけは大切にしてくださるようお願いいたしまして、「うる婆婆」*からのお便りにさせていただきます。

 *「うるさいお婆さん」在職時代の私にあなたたちがつけてくれた懐かしいあだ名
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NO.52 5回目のビバハウス家族会 (2007年10月)
 夏が終わり、山々の木々が紅葉し始め、余市川に鮭が登る頃になると、ビバで行われる恒例の行事に、家族会がある。今回の家族会は、鈴木会長(埼玉)、石黒事務局長(大阪)のお二人が、それぞれご事情があって、参加できないと言う困難な状況を、札幌の松野さんご夫婦、榎本さんのお父さんが見事に克服して、無事に家族会を取り仕切ってくださった。感謝の思いを込めて、榎本さんのお父さんがまとめて下さった、「家族会の報告」を、掲載させていただきます。
「2000年9月、ビバハウスは、安達俊子先生の情熱と尚男先生の理解のもと、多くの苦闘の日々を送っている若者やその家族のため、私財を投じられ開設され、今年で満7年を迎えました。この7年間は、先生ご夫妻にとっても、若者やその家族にとっても、長くもあり、短くもあり、一喜一憂する日々の連続であり、一言で語ることの出来ないものであったと思っています。
この活動は、この間、全国の悩む若者やその家族に限らず、心ある多くの方々に大きな影響を与え、苦闘する若者とその家族の存在を世間に正しく知らせる活動であったと思います。苦闘する若者の存在は、もう、本人とその家族だけで解決できる問題ではありません。他人に責任を転嫁することは許されませんが、日本の社会全体で取り組み、解決を図って行かなければならないものと、考えます。
家族会の第一日目(10月20日・土曜日)は、例年通り、鮭のちゃんちゃん焼き、鱈のあら汁、そしてジンギスカン鍋で、福祉村が新たに購入した「センターハウス(旧共同作業所)」の二階和室で全員でくつろぎました。若者が去ってからは、遅い時間まで、なかなか周りの人の理解を得られないこと、現実をどのように受け入れ、対応して良いのか等等、お互い日ごろの色々な思いを語らい、励ましあいました。
道南から今回はじめて参加されたお母さんは、「皆さんと語らえたことが、どんなに勇気づけられ、本当にありがたく嬉しかった。」と話され、翌日、仕事の関係から、早く帰っていかれました。参加された全ての皆さんが、同じ思いであったことと思います。会の回数を重ねるにつれ、父親の参加数が多くなってきています。今回は父親と母親がそれぞれ半数ずつの参加でした(参加総数は、11家族、16名)。仕事の制約もあるのだと思いますが、これまでは、どうしても母親の参加が多く、父親は少なかったのですが、会の重要性がみんなに理解されてきた為に、今回は「会」の大きな成果であり、特筆しても良いことだと思います。
二日目(21日・日曜日)には、日ごろビバハウスではなかなか食せない、お昼にはラーメン、夕食は生チラシとおふくろの味を楽しんでもらいました。
来年の会には、多くの方々が、「ビバ」に集うことをお願いし、また先生ご夫妻が何時までもお元気で、「ビバ」の若者の為に頑張って頂くことをお願いさせていただきます。お互い、明日を信じ、休むときは休み、諦めず、前を向いて歩いていきましょう!」  
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NO.51 ボランティア女子大生が見たビバハウス (2007年9月)

 91日のビバハウス7周年記念日には、2つの素晴らしいプレゼントを頂いた。1つは、養鶏所用に飼育され、卵を孵化するのを忘れたはずの鶏さんが、まるでお誕生日のお祝いのためにというように、可愛い雛を生んでくれたこと。もう1つは、同志社大学の4回生の女子学生さんが2人もこの日に、京都から自主学習のためボランティアで来てくださったことだ。その中のお一人の、中路綾夏さんが、ビバに来る前に、これまでに出た全ての「ビバハウス便り」を読み終えて、実際に体験した4日間の、ビバ生活の体験記を書いてくださいましたので、ご本人の同意も得て、以下掲載させていただきます。

91日の夜、20時間の船旅を経て友人とともに、ビバに辿り着きました。尚男先生の「いらっしゃい!」と言う豪快なお出迎えを受けて中に入ると、ふっと空気が暖かくなるのを感じました。「この不思議な温かさはなんなのだろう?」それが頭に浮かんだ最初の問いでした。まず、なんといってもビバハウスの力の源は安達俊子先生・尚男先生の抜群のチームワ−ク。利用者の方の言葉を借りると「包み込んでくれるような優しい余市のお母さん」俊子先生と、「時には厳しく、でも温かく背中をぽんと押してくれる」尚男先生の2人が生み出す絶妙なバランスが、ビバハウスの何ともいえない居心地の良さを生み出しています。そこに絶大な信頼をメンバーから寄せられている森さんが加わって、誰が欠けても成立しない、黄金の三角形とでも言うべき布陣が完成し、個性豊かなビバハウスの面々を支えるしっかりした基盤になっています。
 
次に出会ったビバハウスのすごさはそのオープンさでした。病気のことや過去のつらかったこと、ここに秘密は(ほとんど)ありません。メンバーの方たちが、自分自身のことを、まだビバに来て間もない私や友人に真摯に向き合って話してくださいます。これって、とてつもなくすごいことではないでしょうか。自分の内面を語ることは、相手がきちんと受け止めてくれる人か分からない場合、特に高いリスクを伴います。それが出来るのは、「ここには分かってくれる人がいる」という絶対的な安心感あるからこそ。そこに、温かく固い絆でつながっている、ビバハウスの集団としての底力を感じるのです。そして何よりもビバハウスを根底で支えているのは「若者が主人公」と言う哲学であり、信念ともいえる言葉です。医師やカウンセラーの場合、「私(サポートする側)が何をしてあげられるか」が主眼になりがちですが、ビバハウスでは「君は何をしたいのか」が主語であり、その若者の願いや夢に、スタッフが全力で応えるという姿勢が貫かれています。それは日々の生活のすみずみから感じることができるし、何よりもヤーコンの収穫作業、紫蘇農園、ペンションとの提携など、若者の「働きたい」と言う痛切な思いに応えるべく努力されてきた7年間の積み重ねがもっとも雄弁に物語っているのではないでしょうか。その揺るぎない信念の裏側にある北星余市高校での30年以上の積み重ね、そして「若者ひとりひとりが私の夢だ」という安達先生の、嘘偽りのない宝石のようなことばの重みを、ずっしりと感じています。
 ビバハウスに初めて来たとき感じた温かさ、それは安達先生夫婦はもちろん、この7年間通り過ぎて言ったメンバーと父母の皆さんをはじめとした、数え切れない人の思いと夢が、この場所にしっかりと記憶されているからなのだと、思うようになりました。この温かい灯が何時までも消えないようにと願うと同時に、全国で苦しんでいる青年の方々を支える輪を自分も広げていかなければならないと、今強く感じています。

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No.50  若者たちの父母に支えられた7年間(2007,7

 今年は除雪の雪もなく冬が終わって春を迎えた、と思ったら、今度はどうだろう、6月上旬には「リラ冷え」に悩まされるどころか、日中は連日26度〜28度の真夏日。水不足で庭先や周りの草花もまいってしまっている。ビバの若者たちも、夏バテ状態に入りつつあった。こんなビバ内の空気を一変させてくれるような涼風が、九州大分から吹いてきた。甘い香りの「アムスメロン」が箱いっぱいに送られてきたのだ。3年前、半年ほどビバで生活した若者の家からのものだった。お礼の電話を掛けると、お母さんが、「息子はビバにいったお蔭で、今では、財布や携帯などを見失うようなこともなく、他人さまにもご迷惑をおかけするようなこともほとんどなくなり、自分なりに生活が出来るようになれた。是非一度息子の今の姿を見ていただきたい」との嬉しいお話だった。

 ビバに居た当時の彼の毎日は、それこそ問題の連続だった。気の合う友達が出来たのかと、喜んでいると、二人で卓球をしにいき、些細なことから口論が始まり、最後は毎回お互いに血を流し合うような喧嘩を繰り返す。何回時間を掛けて注意をしても、同じことを繰り返すので、やむなく二人とも同時に親に引き取ってもらった。 数ヵ月後、本人から、自分の過ちを反省し、もう一度ビバの生活で、自分を作り直したいので、是非もう一度チャンスを下さいとの申し出を受けた。彼の家庭環境、ご両親の熱意を考慮し、再度受け入れを決めた。ところが実際に生活を開始してみると、今度は喧嘩こそないものの、連日のように、だれかれとなく、「僕の財布を知らないか?」「僕の手帳を持ってないか?」と、各部屋を訪ねまわる。ビバの共同生活が、成り立たなくなってしまうので、家には帰れないと言うことで、町内のホテル、民宿などあらゆるつてを頼って67軒にお願いしたが、営業に支障があると全て、1泊だけで断られた。最後には、懇意な町内入舟町の丸竹食堂の1室を改造させてもらい、下宿人のような形で、受け入れて頂いたが、「財布をトイレに落としたので、汲み取りを頼んでほしい」などの連続で、やはり余市での生活は断念してもらうしかなかった。
 最後まで、私たちは心残りで、残念、無念の気持ちを拭えなかったところへ先ほどのお母さんのお話を聴いたのだ。若者たちのために心を込めて尽くしたことで無駄になるものはひとつもない。こう信じてこそ、ビバハウスを7年間続けてきたはずではあったが、この思いを覆られそうになることも過去何回もあった。そのたびに私たちをもう一度たち上がらせてくれたのは、若者たちの思いがけない成長と、父母たちの暖かさだった。今回もまた、親御さんの期待には応えられなかった思いで幾分重い心を、お母さんの言葉が和らげてくれた。
 「俊子先生も、尚男先生も、二人とも絶対に倒れないでほしい。どちらに倒れられても、私たちの子どもの将来がなくなってしまう。子どもの将来ばかりでなく私たち親の将来もなくなってしまう。お二人の健康を守るために私たちに出来る事があれば、どんなことでもやらしてもらいたい」これは単なる言葉ではなかった。7年間の事実だった。
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NO49 NHK深夜便と教育資料出版会(2007,5)

 21年ほど前に、わたしたちが町内のある卒業生の方の仲人をつとめ、ご両親からお礼にとクンシランを1株頂いた。それをこれまで何度か根分けをしてきたので、今年は1度に7つもの鉢で、ビバハウスの食堂入り口、2階の若者たちの共同スペースなど様々な場所でオレンジの色鮮やかに咲き誇っている。この花に向かって、毎朝「おはよう、お互いに良くがんばってきたね」と、思わず声を掛けてしまう。これが最近の私の1日の始まりになっている。
 ビバを創ったときから、『石の上にも3年』が私たち二人の決意ではあった。ところが、ただひたすらではあったが、歩み続けたこの7年と言う年月の重さをずっしりと感じさせて頂くことが2つも引き継いだ。先ずはじめに、NHK 札幌局から、4月19日のラジヲ深夜便の集い「こころの時代」の公開放送(札幌サンプラザホール)に出てくださいとの依頼があった。「教育」について最近は特に様々な論議が交わされているが、実際に今教育現場でどのような取り組みがなされているかは必ずしも正確に知らされていない。北星余市高校の35年間で、私が生徒たちとどのように関わってきたのかを、ありのままに語ってほしい。その中から、現在の教育に何が必要で、大切なのかを訴えてほしい。出来れば、今の困難で展望を見つけにくい教育の現状に、勇気と希望を与えてほしいと言うものだった。ただ当たり前のことを、当たり前に一人の教師としてやってきただけの私には、とてもそんな大役は出来ませんと、何度もお断りしたが、その「当たり前の」中身が何なのかをどうしても語ってくださいとの、熱心なお誘いについに負けて、勇気を振りしぼってお受けすることにした。
 当日は、約500名と伝えられた、熱心な参加者を前に、50分と言う限られた時間の中で、私の北星余市への思いを出来る限りお伝えしようと努力したが、不慣れと緊張のため、予定よりも5分間早く終わってしまった。ただ全国にも誇れる、すばらしい教師集団の一員として、こんなに長く生徒たちと接することのできた幸せを、この放送を終えて、改めてかみ締める事が出来た。(この全国放送はラジオ第1で、26日(土)午前3時〜4時ごろに放送予定とのことです。)
 もうひとつの出来事は、北星関係の本をたくさん出して頂いている東京の教育資料出版会の中村早苗編集長さんを2泊3日でビバにご訪問を頂いたことだ。中村さんは、私の北星での教育実践を中心に、教師になるまでの生い立ち、退職にいたる経過、そして北星の教育の必然的発展としてのビバハウスへの道のりを『北星余市からビバハウスへ』との構想で、年内に発行してくださることになった。

 ビバハウス便りもいよいよ次号でNO.50。高文研の金子さんとのお約束もどうやら果たせそうだ。金子さんはビバハウス便り(No.150)を中心にした単行本を出版して下さるという。私たちも、7年と言う年月にこだわってわがままを聞いて頂いた経過がある。


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No48 信頼できる大人にどれほど多く出会えるか?
〜若者たちの成長の鍵は何か?〜3回の「職セミナー」の事後検討会から(2007/2)

北海道で生まれ育って、65回目の冬を迎えた私にも、こんな冬は初めてだ。大半が内地から来ているビバの若者たちも、パウダースノーもない、窓ガラスに雪の結晶を見ることもない毎日に、これが本当に北海道の冬なのかといぶかしがっている。雪が少なくて一番悩んでいるのは、去年の冬のように、毎日の作業に除雪の仕事を組み入れられない森主任指導員だ。いまさらながら、冬でも毎日仕事のできた椎茸園を奪った台風18号が恨めしい。
 暖冬の中でも、自立支援に関わる会合が、このところ頻繁に開かれるようになってきている。もともと、ビバハウスを訪問視察してくださった和歌山の方々が、中心になって創設された社会的引きこもりの若者のための共同作業所「NPO法人エルシティオ」関係者の呼びかけに応えて、私も結成への呼びかけ人の一人になった「社会的ひきこもり支援者全国実践交流集会」の第2回目の集会が、21112日、東京三鷹市で開かれた。東京という地の利もあったのか、今回は主催者の予想をはるかに超える250名の参加があり、また若者支援に関わる厚生労働省の担当者も多数参加したと聞いている。
残念なことに、ビバとしては、内部の事情のため予定した参加が出来なくなってしまったので、せめてもの思いも込めて、「若者たちの社会的つまずきに向き合って〜青少年自立支援センタービバハウスの6年間の実践から〜」(A4 6枚)で紙上参加させていただいた。
 さらにこの219日には、これまで何度か「ビバハウス便り」でも紹介させていただいた、国立大雪青少年交流の家主催の「ゆーすぴあ職セミナー」が、3回のセミナーを終了したのを受けて、「事後検討会」が、美瑛町の青少年交流の家で行われた。このセミナーには毎回3名ずつのビバの若者たちが参加し、全員が目覚しい変化と成長を遂げて帰って来て、それぞれのその後のステップに重要な足がかりを与えられているので、今回の会合には、セミナー関係者の皆さんへの感謝の思いも込めて、夫に出席をしてもらった。
 今回は特にこれまでの実践を学問的にも検証していただこうと言うことで、北大大学院教授の宮崎隆志先生、同助教授の横井敏郎先生のご参加も得て、活発な討論が行われた。ビバからこのセミナーに参加した若者に限ってみても、ほぼ全員が、地元で受け入れてくださった農場やペンションの方々の人間的な暖かさに、これまでの人生で感じたことのないほどの、心からの励ましを与えられてきたことが、会議に参加した皆さんと直接にお会いし、お話を聴いて実感できたという。ある地元の受け入れ側の方は、「このセミナーは自分自身にとって、若者から多くを学べた、自分のために開かれたセミナーのような気がした。」と発言されたと言う。こんな素敵な大人の皆さんに関わっていただいて1週間を送れた、若者たちの幸せを思い、私は心の底から感謝した。ビバハウスだけでは、私たちだけでは与えきれなかった、さらに広い世界にも、彼らを温かく迎え入れ、受け止めてくださるすばらしい多くの大人が居るという事実を体験できたことが、彼らのいま示している、果敢な新しい社会参加への原動力になっていることを私は確信している

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No
47 母親との信頼関係の修復こそ基本〜森下一先生に学ぶ(2007.1)

  新年明けましておめでとうございます。 昨年中の「ビバの会」ビバハウスならびに「若者自立塾ビバ」に対する温かい御支援に心より感謝申し上げます。お陰様でビバハウスは昨年の9月1日で満6周年を、「ビバ塾」は昨年末で満1年を迎える事が出来ました。

昨年1年も俊子、尚男共に開設以来実質的には1日の休みもない任務に何とか耐え、ビバハウスでは現在12名、「ビバ塾」では1月4日より3ヶ月の期限で9名の新入塾第6期生との共同生活を開始します。昨年は、ビバハウスにとって6年目にふさわしい大きな実りのある年でした。若者の就労先確保の点からも、これまでの仁木町の有限会社サンユー農産さんに加え、吉川農園,伸和農園、ルスツのペンション・スカイビー、七飯町の石井農場、さらに年末に、町内のホテル・ゴルフクラブAブランド(旧クイーンズランド〜昨年のビバのクリスマスには早速ホテルの宴会室を使わせて頂き、メンバーによるピアノ、クラリネットの演奏も実現できた)などと協力の提携が決まりました。

 けれども昨年ビバに取って最大の喜びは、兵庫県姫路市で引きこもりのわが子達のために真剣に活動中の親の会、NPO法人「みやすの鐘」のお二人の役員さんをお迎えしたことだ。さらにこの親の会の指導者が、森下一先生(森下神経内科診療所院長、生野学園名誉理事)であることも知らされて二重の喜びを感じさせられた。兵庫県からの青年数人がこれまで既に、森下先生の紹介でビバハウスを知りましたとのことで訪れ、新たな問い合わせも受けている。しかし、全く不勉強な私たちは、これまで、森下先生について、何も知らないに等しかった。なぜ先生がビバを紹介されるのかともいぶかしがっていたほどだ。

今回全く幸いなことに、お二人の役員さんから、これまでの会の活動についてお聞きし、併せて、森下先生がどれほど献身的に、不登校、引きこもりの子どもたちとともに親たちへの支援に頑張って来られたのかを詳しくお聞きすることが出来た。また頂いた先生の著書「不登校児が教えてくれたもの」(グラフ社、平成12年、1500円〜吉川英治文化賞受賞、副題は、3000超の症例が発する日本の父母へのメッセージ)を通して、不登校、引きこもりの根本原因は子どもたちの両親、中でも母親に対する不信、不安にあることを喝破している~同書P46など〜ことなども学んだ 。

 自閉症、軽度発達障害など、ますます困難を抱える若者が増加するビバの実践の中で、母親との基本的な信頼関係の修復こそ、立ち直りの鍵であることは、私たちも同じ様に苦闘と失敗の中からようやく導き出してきた、「定式」と言ってよい。

 先生は当時普通高校への道を閉ざされていた不登校の子どもたちに、進学への道を切り開くため、母親や、そして母親の熱意に動かされた父親たちとともに、既に1986年に、約7億円の資金を手当てし、文部省の認可する普通高校、生野学園高校の創設を志した。これはまさに今日も尚、先生の生命を掛けた実践であることを学び、身が震えた。と同時に、このような先生と同じ道を歩めるかけがいなさと幸せに嬉し涙を禁じえなかった。ただひたすら先生のご健康と生野学園高校の発展を祈らざるにはいられない。

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No46 若者の跳躍台としてのビバハウス(2006,10)


 道の行き、帰り、真っ赤に色付いたりんごを見ていると、ふとビバの若者たちひとりひとりの顔が浮かんだ。実りの秋はこの若者たちにも確実に近づいていることを感じた。この夏から秋にかけては、例年以上に若者たちの動きは多彩だった。それもほとんどが新たな試みへの挑戦であった。先ず初めに、今年度から企画された、国立大雪青少年交流の家(美瑛町)事業の「ゆーすぴあ“職”セミナー」に、3名のメンバーと、セミナー指導者として招聘された森康彦主任指導員を送り込んだ。このセミナーについては前号でも触れたので、詳細は省くが「働くことへの関心、意欲、態度、目的意識、責任感など基本的な資質や能力を身に着ける」ためのセミナーであることに、諸手を上げて賛同した。期待したとおり、この目標はほぼ完璧に達成されて、3人はわずか1週間の期間ではあったが、見違えるように自信にあふれて帰ってきた。事実、このセミナーに参加した兵庫県と新潟県からの青年は、現在、ビバの提携先のルスツのペンション「スカイ・ビー」に寝泊りしながら、近くの農家で8時間労働に取り組んでいる。このうちのひとりは、セミナー参加以前は、「農作業は単調で自分にはむいていないので、みんなと同じには働けません」と繰り返していた若者だけにびっくりだ。
 またこの期間、同じ農家でジャガイモやとうきびなどの収穫で一緒に働いた別の道内の若者は、10月末を待たずにひとりだけ引き上げてきた。お隣の仁木町の有限会社サンユー農産の社長ご夫妻のたってのお招きに応じて、会社の正規のアルバイターとして、ヤーコンの収穫作業に従事するためだ。彼は高校を中退し、大検で資格を得、立命館大学の経済学部を卒業したが、サラリーマン的生活への自身の不適応を自ら自覚して、学生時代から、夏休みにはビバの若者と一緒に農作業で汗を流した仲間だ。卒業後は、ログビルダーとしての指導も受け、現在ビバの応接に使っているログハウスの廃材を活用した、見事なテーブルも作ってくれた。来春からは、札幌本社でのパソコン入力や顧客管理など、彼のこれまでに獲得した高い学力も活用されるような職種も約束されている。「2足、3足のわらじを履いて、この生きずらい世の中に出て行け!」といつも若者たちに発破を掛けている夫の期待に応える彼は忠実な実践者だ。 今日という日、これを書いている10月31日という日が特別に嬉しいのは、「この若者だけは、絶対に変わらない。人を傷つけ、回復できない傷を負わせる。これ以上この若者をビバハウスに置かないでほしい」とまでビバの内部だけでなく、外部からも言われた若者が1年10ヶ月間もの、全く休日のない、毎朝5時からの、日高での搾乳牧場生活を終え、次の段階への挑戦を目指し、これもビバハウスと提携している道南の七飯町の石井農場に向けて元気に出発したことだ。私は、北星余市高校の35年間の教師生活を通じて、6千人以上の生徒に接してきたが、時間を掛け、心を尽くせば、変わらない生徒はひとりもいないと言うのが私の結論だった。今日このことを新たに実証してくれた若者がまたひとり生まれ、若者に対する私の確信をさらに強めてくれたのだ。
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N45  両親の離婚と少年16歳の心の空洞(2006,9)

 朝起きると先ず枕もとのラジオのスイッチを入れる、その日の天気予報を聞くところから私の一日は始まる。特に「台風13号、北海道に接近」と耳にした9月18日朝には、洗面もそこそこに、外へ飛び出し、暴風雨に備えて万全の策を講じた。一昨年猛威を振るった、台風18号では、いやと言うほどその恐ろしさを身に知らされたからだ。19日、朝6時ごろ台風は、石狩地方に再上陸、その後進路を道東方面に変えるまでの数時間、屋根の上で、窓の外で荒れ狂う雨、風に身を震わせながら、ビバの若者たちの冬の間の掛け替えのない大切な働く場、多くの皆さんの大変なご協力を頂き、ようやく手に入れた椎茸園を二つとも奪ってしまった台風の残酷さを思い出しながら必死に恐怖に耐えた。

 暴風雨への思いはまた同時に、今若者たちの心の中を吹きあれている荒びのすざましさへも私の思いを連ねた。最近の講演での初めの挨拶では、どうしても少年たちのかってないほどの心の苦悩を取り上げざるを得ない。6年前ビバハウスをどうしても立ち上げなければならないと私を駆り立てたものは、当時「17才問題」と言われた、17歳の少年による連続的な凶悪犯罪行為であった。「佐賀県バスジャック事件」、「愛知県老夫妻殺害事件」などなどと17歳の犯罪が世間の目を奪った。子どもたちに対して、このような犯罪を繰り返させる社会を作った大人の一人として、自分なりに出来る責任の取り方を考え、選んだ道だった。ところが、少年たちを取り巻く社会の様相は6年前に比べて少しは良くなっただろうか?

 6月に奈良県で起こった16歳の少年による「母子放火殺人事件」、つい先月この北海道、稚内市で起こった、同じく16歳の少年による同級生に依頼しての「母親殺人事件」。いずれも若者たちの本当の心の叫びを、正しく受け止めてくれる大人が誰も周囲に居なかったことによる出来事ではないかと私には思われる。若者たちの心の奥までに響く大人からの呼びかけが、例えどんなにかすかなものであったとしてもあったならば、これほどの悲惨な結末には至らなかったのではなかったかと。稚内の少年は、母親に両親の離婚について、父親への非難を訴えたときに、「離婚はお前には関係がない」ときつく言われたときに、母親への殺意を抱いたと弁護士に語っている。

 これまでビバハウスには、様々な形での両親の離婚にかかわる若者たちを受け入れて来た。どの若者たちにも共通しているのは、仲の良い両親の元、幸せな家庭の子どもとして育ちたかったと言う本来は当たり前の願いだ。繊細で、優しい彼らの多くは、親たちの不和の原因は、自分がほかの家庭の子どものように良い子ではなく、学校にいけなかったり、親の言うとおりにきちんと勉強が出来ないからではではないかと不安を感じて育ってくる。両親に仲良くなってもらおうと彼らの多くは自分の力以上にがんばって、ほとんどつぶれかかって、親への期待を持ち続ける。これが現実に裏切られたときの彼らの心の闇の深さを、真剣に大人が受け止めない限り、「稚内事件」はこれからも引き継ぐのではないかと私は心から恐れている。

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NO.44 農業体験を通じての若者自立支援(2006,8)

 動くたびに、額から、首から、あせがーーー!今年の夏の日照り続きと暑さははんぱではない。先日聞いたラジオでは、実に70年ぶりの異常気象とのことであった。 この間ビバの森主任指導員は、メンバーの健康を気づかい、全員集合で毎朝8時半から行う朝礼の際、『農作業に参加するものは、必ず帽子、白い作業着を着け、水分の補給を欠かさないように』と指示を与え続けた。そのお蔭で、農作業初参加の2名が最初の段階で、軽い熱中症にかかったことを除いては、全員がビバの夏休みの前日、8月12日まで元気に隣町の有限会社サンユー農産の紫蘇畑で働くことができた。若者たちも作業に参加する紫蘇を原料とするジュースは、花粉症の人にも大変効果があると言うことで近年特に注目されているとのこと。その紫蘇畑でおよそ半年近くも働く若者たちも紫蘇の香りを毎日胸いっぱいに吸い込みながらの作業なので、アトピー体質の改善にも役立っているようだ。作業最終日の12日夕刻から、昨年に引き続き、サンユー農産・寺井社長さんご夫妻の特別の計らいで、ビバハウスの全員16名が“大”ジンギスカンパーテイ(なぜ大かと言うとお肉が多すぎてとても食べきれず、ビバでもう1回焼肉が出来るほど頂いて帰った)に招かれた。会社の職員、アルバイトの方10名の皆さんと楽しい懇親の時を過ごさせていただいた。ただ単にアルバイト賃を稼ぐだけの場としてではなく、暖かい人間的な雰囲気の中で働かせていただけることが私には何より嬉しかった。この安心感こそが若者たちの心身を健全に育んで行く最大の要因だと思われるから。
 今年の教育科学研究集会(8月9日、埼玉県)では、第13分科会で、「農業体験を通した若者自立支援」がテーマとして取り上げられた。有機農業で有名な山形県高畠村の取り組みや稲作や小麦生産さらにベーカリー事業に取り組んでいる神奈川県コスモワーキングスクール(佐藤洋作代表)の実践にあわせ、埼玉大学環境教育学部の安藤聡彦先生により、ビバハウスの主にサンユー農産との提携事業が、先駆的な実践例として報告されたという。安藤先生は、これまでゼミナールの学生さんと北星余市高校とビバハウスの視察研究のため余市に数日間も滞在され、それ以降もたびたびビバを訪れていただいている先生で、サンユウー農産の寺井社長さんともお会いになり、その若者支援の姿勢に共鳴されていた。
 農業体験と言えば、この7月には、文部科学省所管の事業である、国立大雪青少年交流の家を会場とした「ゆーすぴあ職セミナー」への参加を求められ、ビバハウスとして積極的にこれに応えた。国としても初の事業取り組みで、来年度よりは是非ビバハウスのこれまで6年間の実践もプログラムの中に取り入れたいと言うことで、森主任指導員を特別講師補助者として派遣してほしいとの要請にも応えた。また3名の希望する青年にはビバとして特別奨学金を出し、実質的個人負担を0にした。道外から来ている若者たちに、この機会に北海道の尾根とも言うべき日高山脈を見てもらいたい思いもあった。1週間のうち半分はチームに分かれて美瑛町の農家に民宿し朝4時半からの作業に従事した。帰ってきてみんなに報告する若者たちの顔の輝きを見て、プログラムの成功を確信した。



No 43
  千葉県中小企業家同友会女性部との交流(2006,07

 今年は雪解けが遅かった。いつになったら雪が消えるのか、本当に不安が募るほどだった。ビバハウスを立ち上げて6年目の春を迎えたが、これほどの思いをさせられたのは初めてだ。ところが今はどうだろう!ビバの周りの木々は青葉をいっぱいに着けて、桜、れんぎょ、つつじなどが次々と鮮やかな色をつけ、まるでこれまでの遅れを取り戻すかのように、大急ぎで、いっせいに咲き出した。
 「温かくなったら、ぜひとも北海道に行って、実際のビバハウスを見てみたい」との思いを、昨年10月6日、奈良県で行われた、「中小企業家同友会全国女性経営者交流集会」で私のビバハウスについての講演とスライドを見て、即座に決意をされた千葉県の女性部の皆さん12名を6月11日にお迎えした。「ビバハウスと北海道を訪ねる壮大な旅(2泊3日)」と銘打たれた今回のとりくみには、最初から大変な気迫を感じさせられた。女性部結成3周年の記念事業としての取り組みで、「ビバハウスの実践に学び、自分たちのこれからの生き方と経営者としてのあり方を学びあう」旅の目標を見事に達成された3日間だったと確信させていただいた。
 当日午前に、赤井川キロロリゾートホテルからの皆さんをお迎えし、視察をしていただき、ビバの若者たち全員と6台の車にそれぞれ乗りあってルスツリゾートにあるペンション・スカイビーに向かった。1時間半の車の中でも大変気持ちの良い、そしてお互いの大切な思い出になるような交流ができた。ペンションではすでに地元の皆さんが、一行が到着と同時に炭火焼きのジンギスカンが食べられるような準備をして待っていてくださった。びっくりしたのは、焼肉の味を何倍もおいしくしてくれる行者にんにく(アイヌねぎ)がペンションの裏に行っただけでいくらでも採れることだ。ペンションの中村オーナー、日本共産党の留寿都村議員の農場経営をされている坂庭恵子さんが、食べきれないほどのお肉や野菜、山菜、牛乳までそろえてくださったことにはただ感謝の気持ちでいっぱいだ。総勢35人ほどに膨れ上がった大ジンギスカンパーテーは、大自然の中で、大自然の恵みを、自然な方法で食べられる幸せを全員に満喫させてくれた。
 翌12日から18日まで正式開催予定の小樽市出身のビバの女性メンバー(29才)のイラスト展もドライブイン画廊で見ていただき、嬉しいことに6点の作品をお買い求め頂けた。長い引きこもりの生活の中で年月をかけて製作に励んできた彼女の才能と努力、ご両親の忍耐がこのような形で認めていただけたことは、私たちに、ビバを続けてきて本当に良かったと改めて思わせてくれた。
 午後6時からは、Aブランドホテルで町内の同友会メンバーの方々との懇親会が行われ、会員の皆さん一人一人から、自分の生きてきた生き方、経営の実態、ビバと若者たちとの交流から自分たちがこれから何をしなければ成らないのかなどがこもごも忌憚なく語られた。今回の取り組みは、7月の全国大会で分科会報告として予定されているとのことなので、どのような受け止め方を全国の会員の皆様にしていただけるのか今から楽しみだ。


NO42  新たな就労への挑戦〜ルスツ・リゾートのペンション〜


 ビバハウスの前にはヤマベも釣れるほどのきれいな小川が流れている。創設して6年目を迎えた今年の春は、雪解け水で水かさの増した小川の水音で季節の変化を感じ取れるまでになった。ゴーゴーと音を立てて流れていくその音のすごさで、目を覚まされる朝もたびたびだ。“春だ、春だよ、起きろよ、起きろ!”と体がゆすられ、体中に気力がみなぎる。若者たちも同じ思いなのか、このところ朝の目覚めが早い。
 こんなビバの若者たちをまるで待っていましたとばかりの春一番の吉報が、今度はえぞ富士、羊蹄山のふもとから飛び込んできた。全国的にも最大級の規模を誇る加森観光(札幌)の留寿都リゾートに隣接するペンション・ドライブインSKY BEの経営者中村裕明氏(余市町出身)より、ビバの若者たちを4月末のペンションのオープンにあわせて送ってほしいとのお申し出を頂いた。中村氏は昨年末の若者自立塾ビバのテレビ放映を見て、是非ビバの若者たちの就労の場として御自分の施設を使ってもらおうと考えて下さっていたとのことだった。
 大自然の中で御自分の第2の人生を踏み出すべくペンションを購入し、いざ本格的営業開始というときに、奥様の急逝に直面されたとお聞きした。一時は絶望的な気持ちに追い込まれながらも、ビバの若者たちの人生の再起を期しての必死な姿をテレビで見て、ご自身も新たな生きる気力を取り戻されたという。
 ビバハウスからの第一陣として、男性2名、女性1名のメンバーが4月24日先ず1週間の予定で就労訓練に参加した。これにはビバハウスのスタッフおよび通所生のログビルダー研修生も同行した。全員でオープンに向けての大掃除もやりながら、女性メンバーはアイスクリームの機械の扱い方についての指導を受けた。なかなかアイスクリームというものはまっすぐに立ってくれないものだということも、はじめて実感したという。
 こうして若者たちのほとんどは生まれて初めて、人様のためにお金をもらって働く体験をさせていただいた。1週間後に迎えをかねて、日帰りで訪れたほかのビバメンバーの眼には、3人の働く姿が輝いているように見えたとのことだった。自分にもこういうことが出来るのだとの自信が彼らの動きを活発にし、人に命令されてではなく、自らの意志と判断で行動している姿がそのように映ったのではないかと私は考え、喜びがこみ上げてきた。人は働く場を得てはじめて人間になれる、まさにこのことを彼らは自らの体でそのまま表現したのではないか。
 ログビルダー研修生の若者が、経営者の求めに応じて、自然の白樺なども活用したプランター台や、イスなども製作できるようになれば、将来の自立にも結びつく大きな前進だ。
 ビバハウスの芸術家、小樽出身のカナちゃんの個展をペンションで開けることも大きな喜びだ。すでに20枚の額縁も準備され、ゴールデンウイークでの開催を待っている。

NO41  春の息吹を呼ぶ3人の高校受験生  (2006,3

 長い、長い、寒い、寒い、今年の冬と大雪を押しのけて、春の息吹はもうビバハウスには押し寄せてきている。これまで毎年この高校受験期にはビバには一人、時には二人ぐらいの受験生がいたが、どうした事か今年は3人もの受験生を迎えてしまった。15歳から36歳までのビバ兄弟の中で、一番やんちゃで、めんこい3人組が真剣な顔をしてそれぞれの受験に立ち向かっている姿は感動的でもあった。
 北星余市高を受験した史則君は、道外から来た16歳。「学校」、「勉強」という文字さえも受け付けないほどの過去の辛い思いを振り切って、高校進学を決意した。自分が納得できる高校に行きたいといくつかの学校訪問もして、自分の意思で選んだ学校が北星余市高だった。それだけに受験にも気合が入り、ビバの大学卒のボランティアからも特別な個人指導も受け、面接のリハーサルも私たちから受けて当日に臨んだ。見事合格、私たちは1昨年名古屋からの受験生が合格できずにそのまま郷里に帰りもとの生活に戻ってしまった経験もしているので、本当に嬉しかった。高校を卒業しなければそれからの自分の夢はかなえられないと語る彼の笑顔をみながら、もう少しでビバから送り出さなければならないのだとの別れの辛さも胸をよぎった。
 12月半ばに突然のようにビバに迎えた15歳の中学3年生は、事情があって自宅での生活が出来ず、高校も自宅から遠くはなれた道北の公立学校への進学を目指すことになっていた。ビバでの孤独な受験生生活を覚悟してきた彼は、すぐに仲間と打ち解け、サッカーをしたり、ゲームをしたりと毎日が大忙しだった。独力で高度の数式も解析し、休学中でビバに来ていた国立大学生に「すげ〜」と言わせたこともあった。私が本当にすごいと思ったのは彼の担任の先生で、ご自身クラスの生徒の受験指導に明け暮れながら、彼のために4度もビバまで来て、相談に乗ってくれたことだ。高校生活3年間に彼が遭遇するであろう困難を見極めての先を読んだ適切な指導にはただただ頭が下がるばっかりだった。
 今年成人式を迎えた耕一くんは、ビバに来た当初は高校進学などについてはまるで口にしなかった。学校生活にも、人とのつながりにもほとんど良い思い出はないようだった。2人の受験生の存在に加え、彼に大きな影響を与えたのは、余市町内からの通所メンバー、36歳の石黒君だった。2人は昨年フルシーズン、モンガクのヤーコン、仁木の紫蘇、同じく仁木のミニトマトとコンビで働いた。その間石黒さんは弟のように耕一君を連れて余市の海岸で海に潜ったり、あまりほかの人のいけないところにも誘ってくれた。そのたびに耕一君の表情から硬さが取れて彼本来の明るさ、性格のよさがよみがえってきたように思えた。石黒さんは道立余市高の定時制の卒業生、「高校に行くのに、親に迷惑をかけたくないなら、定時制もあるぞ」の一言が、耕一君の進学への思いを後押ししてくれたのだ。北見市の実家に帰り、北見北斗高校への進学を目指している。
 この三人の動きに確かに刺激を受けたのだろう、大阪から来ていた16歳の少年も、昨夜専門学校への進学を目指し小樽からフェリーに乗った。

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NO40 めざましい成長をとげた若者たちの一年   (2005,12,30)

 いよいよ2005年もあと1日となった。今年もビバの若者たちはそれぞれに個性豊かに、見事に成長の跡を私たちに見せつけて、一年を締めくくってくれた。 今さまざまな場面が私の頭をよぎるが、なんと言っても、今年のクリスマス会は圧巻だった。酪農学園大卒業のボランティア・スタッフの一員が、年内でビバハウスでの仕事を切り上げ、郷里へ帰るため、彼のご苦労さん会を兼ねて、今年のクリスマスは例年より早く21日に行った。合わせてメンバーのお誕生のお祝い、就職の決まったI君のお祝いと盛りだくさんの内容で行われた。
 会の司会進行は、自ら名乗りを上げてくれた、Wさんと16歳のK君が見事に担ってくれた。今年は、これまでと違って、クリスマスツリーや会場全体の飾りつけもみんなの共同作業で、お金をかけずにそれぞれの創意工夫により華やかに飾られた。この日のために数日をかけて、丁寧に焼かれた手作りのケーキや、クッキーには、本当に作った若者一人一人の大変な思いが込められていることを感じながら、感謝しておいしく頂いた。
 お誕生、お別れと感謝、就職のお祝いと決意、それぞれの場面で交わされた若者たちの言葉のひとつひとつに彼らの成長を感じさせられた。特にこの5月から、ビバの通所生として、森主任指導員の下で、農園でのグループ・ワークの重要なメンバーとして頑張ったI君のビバのメンバーに対するお礼と決意の言葉には感動させられた。「自分がここまでこれたのは、本当にビバハウスの皆さんのお陰です。これからもビバの皆さんと仲良くして、新しい職場でも頑張ります。」ご両親を短い期間に立て続けに失い、その後かなり長期にわたって一人だけで自宅に引きこもっていた彼に最初に会ってからの日々が一度に思い出された。皆からも、Iさんはとても森さんに似ていると聞いており、先頭に立って黙々と働くのでみんなの信頼も厚い。 森さんがひとりで担い切れない仕事の時は、I君が気を使って森さんを支えているとの言葉も聞いている。

 若者たちの成長で目を見張ったことがほかにもある。12月8日に日本テレビ系列で全国に放映された、ビバハウスの紹介をした番組をみんなで見た。今やヤンキー先生として全国に知られるようになった義家弘介さんが、かっての担任だった私を訪れてくれるという設定だった。11月29日、本当に彼はカメラマン2人とともにビバに来てくれた。毎日想像を絶するようなハードスケジュールをこなしている彼の健康がなにより気がかりだったが、元気そうな姿にほっとした。番組の中で彼はビバの2人の若者とインタビューをした。私はN君を暖かく励ます義家さんの姿に感謝の思いを抱いたが、同時に今や有名人でもあるヤンキー先生に全くたじろぐこともなく、質問のひとつひとつをじっくりと受け止めて、考え、考え自分の答えを出しているN 君の姿に、ビバに来て10ヶ月の成長のすざましさ見た思いがした。ああ、今年も若者たちにとっても、私たちにとっても、忘れることの出来ない、かけがえのない1年間だった。
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No39 「ビバ塾」の若者達もみんな大切な「私の子供」 (2005,11)

 お客さんを見送ろうと、玄関の戸をあけて外にでたとたんに、いきなり私の目や鼻の穴に何かが入り込んできた!なんだろうとよく見ると雪虫だった。どこからかわいて出て来ているのではないか、と思わせるほどのおびただしい数の雪虫が、我が物顔にとびかっている。ああ今年ももう少しで初雪になるのかと、感じさせられる季節になった。
 思い返せば、10月1日に厚生労働省から認定を受けて[若者自立塾ビバ]を発足させてからもう少しで1ヶ月になる。第1期生の中には長期、短期の違いはあるが、4名のビバハウス生活体験者がおり、また3名の北星余市高関係者もいる。その他の若者達の中にも、通信制高校の勉強をしながら頑張っているもの、既に大学は卒業しているが、新たな決意で塾生として、新しい人生に挑戦しているものなど、それぞれがそれぞれの困難を抱えながらも、日本初の体験をしてきた。
 この塾の特徴は、斎藤宗弘施設長(32歳、北星余市高卒、フランス留学4年)を中心に、実質的な運営は完全にビバハウスとは別立てで運営されている事である。その運営も、主として斎藤施設長の、これまでのホテルマンや、老人介護施設職員などの体験も生かし、創意工夫のもとに全職員が一丸となって、塾生の指導と、生活全般の援助をしている。スタッフの構成も男女比、年齢構成なども慎重に考慮し、58歳の20年間の学習塾経験者(男性)を初め、高校教員、小学校教員、自立支援組織指導員経験者など多彩な人材から、本当にこの新しい事業に自ら貢献したい願いを持つ方々7名を正式採用し、支えて頂いている。

 9月16日、東京で第1回の塾長会議が開かれ、ビバ塾の塾長である夫が参加したが、他の大半の塾は、ビバと違って母体の組織が大きいためか、それぞれ数人の新規臨時採用者とこれまでのスタッフが合同で塾運営に当っているが、人員不足、指導力量不足で悪戦苦闘中というのが殆どの塾からの報告だったという。支援対象者(塾生をこう呼ぶ)間の暴力的トラブル、塾からの脱走者もいないわけではないとのことであった。
 「ビバ塾」でもこれは例外ではなく、密度の濃い集団生活に耐えられないでビバハウスに助けを求めてきたある女性と翌朝まで、彼女が休んだ食堂のソファーの横に座布団を敷いて添い寝をした。私自身、有限会社青少年自立支援センタ−「若者自立塾ビバ」の代表者でもあるが、なかなか日常の全ての活動にかかわる事は出来ないが、常に塾の若者達が私を求めてくれる時には、何をおいても、全力で支えたいと願っている。この29日には、かっての教え子と言うよりは、いまや全国的にも教育についての鋭い提言者としての地歩を築きつつある、義家弘介さんがビバに来てくれた。日本テレビの「情報ツウ」という番組の取材とのことであったが、カメラが3台もついてくる仰々しさにははじめ正直驚いた。義家さんは盛んに私のこと、特に健康を案じてくださり、転ばないように、足元をしっかりと踏みしめるようにとの思いのこもった素敵な運動靴を、いつのまにか私のサイズを調べて、プレゼントしてくれた。私がどれほど、瀕死の重症を乗り越えた彼の体のことを心配しているかの思いは、12月の次の再会まで大切に取っておく事にしよう。

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NO
 38  ビバハウス家族会  (2005,9,18
 

8月15日の朝、えさを持って鶏小屋に向かった私の耳に入ってきたピヨピヨというかわいい鳴声。もしかしたらと小屋の外に設けている運動場の笹の葉を掻き分け目を凝らすと、お母さん鳥の周りにひよこが!それも8羽!お母さん鳥はほとんど飲まず、食わずで、10個の卵を抱き続ける事丸々1ヶ月。遂にそのうちの8個がかえったのだった。みんな食欲旺盛で、1ヶ月以上たった今では1メーターもある止まり木に飛び上がれるまでにもなったが、今尚お母さんに甘え、われ先にお母さんの背中に飛び乗ったり、羽の下にもぐり込もうと躍起になっている。鶏親子のこんなほほえましい光景見たさに、1日に何度も鳥小屋に通いながら、ビバの親子たちが再会する家族会の開催を心待ちにしていた。
 第2回目のビバハウス家族会は、9月9日から2泊3日で開かれた。昨年との大きな違いは、昨年は2人しかいなかったお父さんが、今年は5人も参加してくださった事だ。昨年は少数のお父さん達が、お母さん達の願いに応えて、会の合間、合間に、ニセコやキロロまたは積丹半島1周のドライブと主に「アッシー君」として、大健闘していただいた。昨年の語り合いの大半は、お母さん達の子供さんをめぐるお話だった。ところが、今年は5人のお父さん達が、ひとつの集団となり、食事の準備の仕事も、後片付けも見事なチームワークで、やり抜いてくださった。
 さらに、このお父さん達の一緒に仕事をしながら、またお酒を飲みながらのお互いの会話は、昨年の家族会では味わえなかった、本当に中身の濃い、だけど同時に聞いているうちに思わず吹き出してしまうほど面白いものだった。ある時は、外から聞いているとまるでけんか腰(少しお酒の入っているせいもあったかも分からないが)で、やり合っているようなので、少し心配して聞いていると、お互いに自分の子供の方が大変だと言い合っているのだった。きっかけは、現在特別養護老人ホームの職員として勤務しているF君のお父さんに、他のお父さんが、「F君のような子供さんならば、うちの息子のような苦労はされてはいないのではないか」というような話をしたことから始まったようだった。F君のお父さんが、自分達夫婦の今まで人にも余り言う機会のなかった、親としての大変な思いをぶちまけ、またそれをめぐって、それぞれのお父さんが、自分たちのしてきた苦労や切なかった思いを語りだしていたのだ。それはまるで、お互いにこれまで心の奥深くに潜めて決して口には出した事のなかった、溜めに溜め込んできた様々な思いを、一気に吐き出しているような、不思議な迫力に満ちた語り方だった。
 私は、まるでどこかのデパートの特売合戦のように、自分のしてきた苦労の方が他の人のしてきた苦労より大変だったと、まるでそのことを自慢しあっているようなお父さん達の会話を聞きながら、「ああこれはビバの若者達と同じだな」との思いを持った。心を打ち明けられる本当の仲間を持ったときに、初めて若者達は語りだした。今この5人のビバのお父さん達も若者達と同じように、心を打ち明け、信頼し合える仲間と出会ったのだ。

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37 若者自立塾(2005,8)

 
今年、初めてビバハウスのまわりの木立からセミの鳴き声を聞いたのは、7月13日のことだった。日に日にその鳴き声は勢いを増し、今日7月28日の朝、午前中の農作業(お隣の仁木町の農業生産法人サンユー農産さんのしそ畑でのアルバイト)に出かける若者たちを見送りに外にでた時には、思わず耳をふさぎたくなるほどだった。いよいよ北海道にも短い夏の本格的な到来を感じさせられた瞬間でもあった。
 この夏ビバは、過去5年間の努力の積み重ねを、過不足なく、正当に評価して頂いたようなビックなプレゼントを2つも頂いた。ひとつは今年から厚生労働省が、若者に対する就労支援事業としてはじめて実施する「若者自立塾」全国20施設のひとつに北海道では唯一ビバの会が認定された事(道新7月5日付、同28日付夕刊小樽後志版コラム〜えぞふじ〜で報道)。もうひとつは待望久しい精神科専門の国家資格を持つ34歳の男性看護士を正規雇用契約を結んで、ビバハウスに迎え入れることが出来るようになった事である。
 「若者自立塾」については既にこれまでの「ビバハウス便り」にも、厚生労働省のプランが昨年9月に発表された時にコメントした経過もあるが、これまで自立に困難を抱える若者達の社会参加を支援する事業が、殆ど民間だけに依存している状況を改め、国の責任として、この重要で、困難な仕事に立ち向かうきっかけになる事を私たちは願ってきた。ひとによっては、全国20箇所、9億8千万の予算は「自衛隊のイラク派兵の2%にしか過ぎない、国がニート対策に本腰を入れたとはとてもいえない」と見る人もいるかもしれないが、「軍事費を削って、教育と、福祉にまわせ!」という私たちの基本の姿勢からも、これまでになかった新しい一歩を踏み出すように努力したい。
 10月1日より厚生労働省の委託実施事業として、第1期生の20名の若者を迎えて、3ヶ月間の生活、就労訓練を開始する為のあらゆる準備に忙殺されている。運営主体は、既存の有限会社の活用を快く申し出てくださった、札幌の北星余市高の卒業生ご家族のご好意に甘えて、全面的に改組し、「有限会社青少年自立支援センタ−ビバ」(代表取締役・安達俊子)として新発足させた。これまでの2つの宿泊施設(余市町入舟町)を改装し、「若者自立塾ビバ」の皆さんが快適に合宿生活を送れるようすることにした。教育福祉村の役員の皆さんのご理解もえて、「ビバの会」としては初めて村外に別組織の新しい事業に取り組む事になった。
 この間私にとって特にうれしかったのは、村の施設の農業用倉庫の床にコンクリートを打つ作業に、ビバの若者達全員が力いっぱい頑張ってくれた事だ。倉庫内の硬い土を堀って下地を作る作業、倉庫の周りに手掘りの側溝を掘る作業、最後には大型トラック1台分の砂利を平らにならす作業と10数人の男の子達が汗みどろになってやり抜いてくれた。日頃からお世話になっている村の皆さんへのささやかなご恩返しが出来た喜びは格別だ。

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36 新しい春は新しい働き手と(2005,5)

                     
 1週間程前に、よ〜やく、ビバハウスのまわりから雪が姿を消した。そのかわりに、冬の間、雪に埋もれていた全てのものが姿を現した。ビニールの切れはじ、発泡スチロールやダンボールの箱、空きカン、空きビン、などなど。特に今年は、折れた枝木の多い事。去年の18号台風のすさまじさに併せ、今年の冬の例年にない雪の多さを物語っている。ビバの若者達はこの季節の変化を肌で感じながら、本格的な農作業の開始に備えて、ビバハウス周辺の環境整備などの作業に取り組んでいる。
 私達責任者も、こんな春にふさわしい創設5年目のスタートを切りたいと、ひそかに心に期するところもあった。ところが驚いた事に、この春からビバハウスで共に仕事をしたいと3人もの若者が新たに名乗りをあげてくれたのだ。この3月末で1年間の任期を立派に終了した女性のボランティア研修生の後を引き継いでくれたのは、この春北星余市高校を卒業した24歳の女性。彼女は既に千葉県内の女子短期大学を卒業し、幼稚園教諭の資格も得ていたが、横浜でヤンキー先生こと義家弘介氏の講演を聞いた事がきっかけで、昨年北星余市高3年に編入し、願っていた通りの高校生活を体験した。子供達に出来る限りゆきとどいた幼児教育のできる人間になりたいと、自らの意志でビバハウスでの1年間のボランティア生活を選択した。昼食のお料理に全責任を負いながら、みんなの事を気づかってくれる彼女の存在が、男の子の多いビバハウスに安らぎを与えてくれている。
 併せて、この3月には、誠実で有能な、酪農学園大学を卒業した2人の男性からのボランティア希望の申し入れも受けた。2人は在学中に既に高校社会の教員資格を取っていたが、昨年はさらに科目履修生として同大学で高校農業の資格も取ったと言う。ビバハウスが仁木町の有限会社サンユー農産と提携して行っている昨年からのヤーコン、今年新たに開始する紫蘇栽培の指導もかねた、年間特別ボランティア研修生として両名を迎え入れる事にした。23歳と31歳の2人の若い力が、昨年から正職員に就任している森康彦さん(33歳)の優れた指導能力に加われば、ビバハウスの若者に対する集団的指導体制は、どれほどのものになれるか今から胸が高まる思いがする。男性10名、女性2名のビバの若者達を私達も含め6名のスタッフでお世話できるこの体制で、これまでには手の付けられなかった、密度の濃い、行き届いたお世話をさせていただけると確信している。
 「新しい酒は、新しい皮袋に」言葉通り、この考えで、どんどん彼らの新しい発想で、私達二人だけでこれまで5年間かけて築き上げてきたこれまでのビバハウスとは一味も、二味も違う斬新なビバハウスを毎日、毎日新たに作り上げていって欲しいと期待している。
 事実彼らが就任した4月1日からは既に1日も欠かさず毎朝、毎晩のスタッフ・ミーテングが実施されている。メンバー達の正確な状況把握、スタッフの厳密な任務分担がしっかりと時間をかけて打ち合わされている。若者達の提言で、司会者も書記も毎日輪番で担当するという私達では思いつかないようなやり方も既に全く自然に行われている。

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 35  若者達に学ぶ (2005,1)

 新年明けましておめでとうございます。昨年中のご支援に心より感謝申しあげます。いよいよ創設5周年(9月1日)の年。体験型フリースクールの正規開所を目指します。
 毎年ビバの12月を締めくくる行事はクリスマス会。少しずつツリーの飾りも増えて、今回は又1段とにぎやかなツリーとなった。素敵なツリーを喜んだのはビバの若者達ばかりではない。ビバのアイドル、癒しネコ、ラミちゃんのはしゃぎようったら!? ついては消え、消えてはつくイルミネーションや、オーナメントにひとつひとつじゃれ付いては下に落として自分の遊び道具にしようとする。こんなラミちゃんだけれど、去年との違いは、皆から“駄目!”といわれるとそれ以上はしない。
 第1部の讃美歌は「きよしこの夜」。1,3番は全員、2番はボランティアのFさんの独唱。毎週教会に通っているFさんの澄み切った声が会場を満たした。聖書は毎年の恒例で今年も「明日の事を思い煩うな」、夏からのどを痛めている尚男おじさんの絞り出すような声にみんなが真剣に耳を傾けた。第2部は会食。テーブル一杯のご馳走を、皆が競い合って良く食べた。第3部はビバ名物、手作りゲーム大会。皆子供のように、さすがのラミちゃんも逃げ出すほど、はしゃぎまくった。賞品も一杯出た。
 今年のクリスマスの実行委員は2人とも全く初めての経験なのに大健闘で会を最後まで盛り上げてくれた。女性のWさんは、かってビバに居られなくなって沖縄まで行って保護されたが、後志支庁のケースワーカーTさんや、北星高校の先生方のお陰で、見違えるように成長して再びビバに戻ってきた。富山からの男性は将来北海道で農場を持ちたい夢がある。自立出来るようになるまでは、家に帰らない決意でビバに来たという。
 ビバのクリスマスはこれで終わりと想っていたら、翌25日の晩には、想いがけないプレゼントがビバに届けられた。大きなピザが注文もしていないのに3枚も届けられた。初めはなにかの間違いかと思い、お店に問い合わせたが、確かにビバハウスと名指しで、お金も払って頂いているという。白いワゴンに乗ったピンクの服を来た女性という事しか分かりませんとのことだった。若者達はビバハウスに本物のサンタクロースが来たと大喜びでご馳走になった。
 ビバのお正月休みのお陰で何人かの若者達とは、日頃の忙しさで余りじっくりと話せない分を補えるような豊かな語り合いが出来た。F君との話し合いで、「ビバの若者達一人一人は、皆大きな困難との戦いをしている。この戦いは本当のところ、親達も先生たち(おじさん、おばさん)にも助けてもらえない、自分だけの戦いだ。自分は失敗するかもしれないがそれも良いと思えるようになった。もう1度挑戦する事をビバで身につけたので、もう恐ろしくはない。」仲間達一人一人に対する彼の心からの共感、正確な評価に思わずうめいてしまった。「そうか、そうか、そういう事だったのか」と教えられる事ばかりだった。彼はこうも語った。「ビバに来た10代の若者達は、みんな短い時間に急激に成長した。毎日すぐ目の前で自分の先輩の戦いから学べるからだ。それに比べて20代後半30代のメンバーの戦いは困難を極めている。お手本はなく、自分の戦いは全て自分で切り開くしかないから。」私は思わず、「僕の前に道はない―僕の後ろに道は―」の詩を想った。と同時に、こんな困難な中で、孤独な戦いを戦っている若者達一人一人が、限りなくいとおしく、その戦いの勝利を心から祈らざるを得なかった。若者達よありがとう。先に進むあなた方の戦いがあるから、私達も立ち遅れないように新しい年に果敢に挑戦したい!

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34  全て必要なものは備えられて!(2004,12)

 木枯らしの冷たさに悲鳴をあげながら、今年初めて北海道の冬を体験する若者達は毎日元気にさまざまな仕事に取り組んでいる。前33号でお知らせした通り、ビバの若者達が冬でも働ける場所として、大切に守って来た2つの椎茸園が18号台風の突風で一夜にして奪われてしまった。北星余市高校の父母の方が開いているホームページでも「ビバハウスピンチ」として心配をして頂いた。父母の皆さんからご協力を頂いて投入した資金だけでも数百万円、若者達やボランティアの方々が働いて下さった労働日は優に千日を越える。あれはいったいどこへ行ってしまったのか。気力が引いていくのを感じた。
 けれども今度もまた「見えざる手」はこれまでと同じように、いやそれ以上に、ビバが失った以上のものを備えて下さった。あまりにも大きな損失の為ぽかんとしている時に、いつもビバのことを気にかけて下さっている町内のN夫人よりの1本の電話から、お隣の仁木町の国道5号線よりに、8反分(約2、400坪)のぶどう園の管理者に成らせて頂いた。引き受ける条件は、毎年2本のぶどうを所有者の為に保全するという事だけで、後は賃貸料なし、全て無条件、期限なしとのことだった。仁木町の農業委員であり私達の40年来の信頼すべき友人である大塚功さんの指導助言を得て、すでに若者達は枝きり、選定作業に取り掛かっている。
 台風被害で打ちひしがれている心を奮い立たせるような電話もカナダ・バンクーバからきた。今年の夏1週間2人で訪問し、若者たちのため最上の条件を備えて下さっている姿に感激して帰ったカナダから、ビバからの若者を受け入れる為の住宅も準備し、カナダ側としての専属の担当職員の配置も考えているとの事だった。現在ビバ側では3人の若者がカナダ行きを希望し、1人はアルバイトで既に約30万円の資金を準備している、後数ヶ月でカナダ行きも現実になる。私達も今年に引き続き来年の8月1週間のカナダへのご招待を受けているので、なんとしてもその時にはビバの若者達のカナダでの元気な姿を見たいという夢がある。台風なんかに負けていられるか、若者の未来の為、新しい夢の為にがんばろうとの闘志が湧いてくる。
 ビバハウスへの全国からの訪問者、見学・視察者が後を絶たず、最近は特に大阪体育大、法政大、和歌山大、福井大、札幌学院大、北海道浅井学園大、酪農学園大、北星学園大など大学、研究機関が多い。又試験入所希望者が常に十数名居て、その宿泊の依頼などもあり対応に苦慮してきた。10月にはビバハウス家族会も結成され、2日間、20名以上の全国からの参加を見た。何とかふさわしい宿舎体制を作りたいとの願いに、町内老舗のお蕎麦屋さんが広い2階を全面開放して協力して下さるとの、ありがたい申し出を受けた。
 神は見捨てたまわず。ただひたすらに信じた道を一歩一歩進むのみとの、天と地との声を今回もまた心に響かせられた。

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33 18号台風が奪ったもの、持ってきたもの(2004,10)

 秋の訪れを伝えてくれる栗。その大きな栗の木が、鶏小屋の近くにある。けれども今年はまだ栗を食べていない。18号台風は、実る前の栗を全て叩き落してしまったからだ。台風が叩き落したものは栗の実だけではない、お隣の農家の例年見事な実をつけるリンゴ(ハック9)のほとんどを地面にたたき付けてしまった。
 台風は、ビバの若者達から大切な
2つの働く場所を奪い取ってしまった。仁木町の岩田椎茸園、余市町の中岡きのこ園を風速50メートルに近い突風が襲い倒壊させ、二つとも廃業せざるを得ない事態となった。現在2名の若者が残務整理、後始末の為に通っているが、あと数日間でその仕事も終わってしまう。掛け替えのない冬の働く場がなくなってしまった。岩田さんご夫婦は20年以上、中岡さんご夫婦も約10年に及ぶご苦労がわずか数時間のうちに全て無になってしまった。この無念の思いを誰が慰められるのだろうか?
 もともと2つの椎茸園は、人体に有害だが安い中国産の椎茸との競争に敗れ、全国の椎茸園が廃園に追い込まれた時に、ビバ側が資金と労働力、販売への協力をする事で営業を継続してきた経由がある。特に岩田椎茸園についてはご主人の岩田さんが、二冬ご病気で入院した為、ハウスを雪でつぶさない様にと夫と若者達が吹雪の日も毎日雪かきをして守って来たハウスだけに無念の思いもいっそうである。厳しい試練ではあるが、これまでもビバハウスはどんなに苦しい、もう駄目かと思はざるを得ない時にも、常に守られ、導かれてきた。どんな事をしてでも、若者たちの為に、この難局を切り抜けたい。
 ビバの若者たちを元気付けてくれたものもある。五月から新たに赤井川道路沿いのモンガク農場で、体験型フリースクール・ビバスコーレの活動の一環として、新たに職員になった森さんの指導で栽培してきた約300個以上のカボチャの出来ばえが素晴らしく、食べて頂いた多くの皆さんから、「こんなにおいしいカボチャは食べた事がない」などのおほめの言葉も頂いた。台風の突風で激しく揺さぶられ一時は枯れかけたヤーコンの茎からは小さいが新しい元気な若芽が出て、秋の青空に向かって延びている。ビバの皆も台風なんかに負けては駄目だよとそっと語りかけてくれているようだ。
 9月17日付の道新夕刊にはびっくりさせられた。厚生労働省が、来年度、若者に働く意欲と自信を持たせる為の合宿形式の「若者自立塾」を全国に40箇所創設すると言う。
 来年4月から実際に運営を担う民間団体を募集し、適切な団体に対しては、1施設あたり約6千7百万円の運営費補助を行う。訓練期間は1期3ヶ月で、約20人を募集。年間3期実施するとの事。現在卒業後、求職活動もせず、家事も結婚もしていない15−34歳の若者は約52万人、前年より約4万人増。このまま放置したのでは、今後の社会の維持、発展の観点からも「憂慮すべき事態」との分析に基づく対策で、大蔵省への概算要求額は27億円。皆さんはどのように受け止められますか?

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32 次への飛躍のために!
(2004,9)

真夏日が続いた8月11〜18日、ビバハウスではお盆休み兼夏休みを取った。いつもの年より少し長い休みには訳があった。 元JALの職員で、すでにカナダ歴16年のT(日本からの留学生のお世話をしている会社の社長さん)にカナダへ招かれたのだ。T氏は長い間日本からの留学生を受け入れているが、特に最近日本の若者達が生気に欠け、自ら進んで物事に取り組む姿勢の弱い事を気に掛けてきたと言う。何か自分達もこのような若者達を支援する手立てがないかを考えていた時に、「ヤンキー先生」の元担任が現在は「ビバハウス」をやっていると言う事を知り、わざわざ訪ねて下さったのだ私の北星余市高、さらにビバハウスでの取り組みに関心を持って下さり、ビバの若者達の将来の選択肢の一つとしてカナダ行きも有り得るのではないかと言う事になって、その為にも是非下見も兼ねて来て頂きたいとのお誘いを受けたのだ。私達にとっても、最近は大学に在籍中の若者達が大学での勉強に失望したり、将来への目標を見失い、無気力状態に陥って、ビバに助けを求めてくるケースが段々多くなり、そうした若者達への対応には正直苦しんでいたのも事実だった。
 カナダ(バンクーバー)ではT氏の社員の皆さんの全力を挙げた取り組みで、青少年の育成に関わる方々(大半は専門の精神科医、臨床心理士、カウンセラーなどの有資格者)を中心に、日本からの留学生を含む約70名の方々が「An Eveninng With Mr.&Mrs. Adachi」に参加して頂いた。私の30分ほどのビバハウス紹介のスピーチとTBSテレビの「家族の肖像〜ビバハウス」(英語版説明つき)の映写の後で1時間半ほどの時間を質疑応答に使った。日本語の「ひきこもり」は英語の「Social Withdrawal」などでは表現できない極めて日本社会に固有の現象であることも痛感させられた。バンクーバーから水上飛行機で30分ほどで行けるビクトリアは200万都市のバンクーバーとは違い、木々の緑の中に瀟洒な住宅が点在する、しっくりと落ち着いた田園都市だった。ここで日本人の精神科医H博士ご夫妻にお会いできた事は私達にとって生涯最大の幸せと言うべきものだった。博士ご夫妻はビバハウスの取り組みに感動したので将来日本の若者をカナダに送ってきた場合の精神的カウンセリングを引き受けてもよいとまでおっしゃって下さった。また、精神科について何も専門的知識を持たない私達が今のような仕事をこれからも続けてよいのかいつも悩んでいますとの問いに、「たぶん精神科の専門家はあなた方のようなお仕事は出来なかったと思います。」と述べられた。 コロンビアでは、日本の若者がホームステイをしている家庭訪問もしてきた。ご主人は英国出身の元経済学の先生、奥さんは病院勤務のカウンセラーのご夫妻だった。日本で大学1年を終わり、1年間休学中の関西からの女性がこの家の本当の娘さんのように振舞っていた。ビバに関わる若者達にも是非このような環境で生活体験が出来ればと願いながらお別れした。
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31 「女性自身」そして「TBS」 (2004,7)


 外は太陽がぎらぎら、せみの鳴き声がジージー。このところ真夏日が続いて室内の温度計は、32度を指している。ちょっと動くとどこからともなく汗がだらだら流れ出てくる。北海道にもかって例のないほどの猛暑の日々が続いているが、ビバハウスにも、このところ創設以来の熱い問い合わせが集中している。6月22日付(実際は約2週間早く売り出される)の発売と同時に、と言うよりは発売日の2日遅れる北海道ではまだ私達が本物を見もしないうちに、院で、美容室で、レストランで「女性自身」を見たのでとの問い合わせが始まった。確かに、「よく食べる人は、よ
く生きる人」との2面見開きの大見出しで、7ページにわたっての「シリーズ人間」の特集なのでかなり目を引く。電話で、ファックスで、メールでと後を絶たない。ほとんどの問い合わせが、10年、20年と誰にも、どこにも相談したこともないという方々ばかりなので緊張の連続だ。このような反応をじかに体験すると、引きこもりの総数は「百万人」といわれる事を実感せざるを得ないが、ことによると本当はさらに多いのかもしれない気もするほどだ。
 この「女性自身」の記事が引き金になったのか、テレビ朝日、TBS、NHK、50台からの生き方専門誌という雑誌「いきいき」からの取材依頼が相次いだ。テレビ局の取材はいずれも「家族」、「食卓」などをコンセプトとしたもので、今の社会状況を反映しているのかとも思われる。実際「家族とは何か?」、さらに日本の家族のうちでどの位の人々が毎日「食卓を共にして食事をしているのか」など、考えてみれば、なかなか簡単には答えの出てこない問題を抱えているのが現実かも知れない。この点で、本来家族ではないビバハウスのメンバーが、本当の家族よりも家族的に、毎回全員がそろって食卓を囲む姿は、今の日本の中では珍しい姿なのかも知れない。そういえば確かにTBSのテーマは「家族の肖像」だった。この「家族の肖像」が7月2日の「はぴひる」(北海道ではHBC)で放映されてからはそれこそ本当に大変だった。キー局のTBSでの全国放映ということで、それこそ放映直後から争ったように電話が鳴り響いた。終わると同時に次ぎが鳴り、「もう20分ぐらい待っていた」と切り出された。ひとりひとりの訴えの重さと厳しさに、圧倒されるほどだった。なぜこれほどの苦しみが今まで放置されて来たのだろうというのが実感だった。これではビバハウスが全国に百個有っても足りないのではないかと恐怖を感じるほどだった。 連日の電話攻勢に、ついに議員暦20年、声だけは誰にも負けないはずの夫の声もかすれだし、悪性の夏かぜにやられたのか、段々のどの奥から絞り出すような声になってしまった。それでも電話は鳴り止まない。「せめて2,3日でも体験入所をさせてほしい、今を失すれば息子はどうなってしまうか分からない。」悲痛とも聞こえる親達の声を思い出しながら、この夏の異常な暑さに耐えている日々が続いている。

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    30  新しい命と夢の誕生 (2004,6)

ビバハウスでは動物好きのおじさん(ビバの若者達は夫のことをこう呼んでいる)の願いもあつて、ビバハウスを建ち上げた時から、鶏を飼っている。北星余市高の卒業生や町内の養鶏場から廃鶏を分けて頂いたもので、多いときには17羽もいた。貰った時、大部分は高齢のため羽の痛みもひどく、とさかも貧弱で色も良くなく、後どのくらい持つだろうかと心配になったほどだったけれど、広い遊び場でたっぷりとお日様を浴びて、草の葉や虫をついばんでいる間にみんな元気になり、卵もたくさん産むようになった。当時まだ何の生産品もなかったビバにとって、生みたてのおいしい卵が訪れて下さる支援者の方々への唯一のお土産となって、皆さんから喜ばれてきた。

 ところがこの4年間に、老衰から絶命したり、放し飼いの犬に連れ去られたりで、たったの6羽になってしまった。夫も私も鳥小屋に行くたびに寂しい思いになっていた。そんな思いで6月6日早朝エサをやりに鳥小屋に入ってみると、いつもの聴きなれた鳥の声のほかに、ピーピーと可愛いい鳴き声がーーー。もしやと思って鳴き声をたどったら、いました、いました、ひよこが一羽!4年目にして鶏小屋に新しい命の誕生!

 今年は、4月1日からこれまで利用者の一員だった森康彦さん(33歳・札幌出身)を正規職員として迎え入れ、新たに創設したボランティア研修員制度の第一号として愛知県内の新学卒者の女性を受け入れた。彼らには、すでにビバハウス内の仕事ばかりではなく、北星大学での学生さんへの講義にも同行してもらい、直接自らの体験について語ってもらい、学生さんたちの強い共感を得た。

 この春からさらにうれしく感じていることは、ビバの若者達が、次々と各自の新しい夢、希望を抱き始めたことだ。たとえば、福井県から来たE君は、中学2年で不登校になり、17歳でビバに来たが、当初は全く目標が定まらなかった。勉強はしたくないというし、そうかといってまともに働ける条件もない。ところが自動車の免許を取りたいと、この3月初めから自動車学校に通う頃から目つきが変わってきた。ところが高校卒業生がたくさん居たこともあって、行けなくなってしまい、約1ヶ月休学したが、復活後のがんばりはすばらしく、6月9日一発で合格し免許手にした。彼の頑張りにははっきりした理由があり、それは、カナダ“遊学”への夢があるからだ。

 カナダ“遊学”の話がビバに飛び込んできたのも全くの偶然だった。4月のある日、北星余市高の生徒や卒業生をカナダに留学の斡旋をするプランを持って訪問したバンクーバーの会社の社長さんが、たまたま佐々木校長との会話の中で、夫の卒業大学の後輩に当たると言うことが分かり、ビバハウスにご挨拶に来て下さった。会話の中で、北星の生徒は勿論、ビバの若者達にも是非カナダにきてほしいとの事になった。ビバの若者はもはや学生ではないので、親に頼らず、自力でカナダ生活を実現したい。往復の航空運賃(約30万円位)をまず仕事をして稼ぎ、カナダでの滞在費は、現地で半日働き稼ぎ出し、半日は英語を含む何らかの勉強に当てる。(夫はかって若かりし頃、せっかく勤めた貿易商社を3年で辞めて、イスラエルのキブツで1年半こんな生活をしてきたそうだ。)その日の夜、若者達にこのプランを話したところ真っ先に手をあげたのがE君だった。そのほか数名の若者が関心を示し、いつかは自分も行きたいとの希望を述べた。

 E君は、6月14日から仁木のしそ園で、これまで出来ないと言っていた8時間労働に挑戦する。

  

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29 F君の挑戦

雪どけ一番に、ビバハウスに通じる道の土手には、ふきのとうが顔を出した。続いてカタクリが一輪、タンポポが一輪、花を咲かせた。そして今、レンギョウが蕾をつけ、黄金色の花を咲かす準備をしている。今年も確実に春が訪れようとしている。
 今回は、こんな春にふさわしい、ビバの若者F君の春を紹介したい。F君は、福岡出身の27歳、高校中退後、通信制の高校を卒業し、そのまま家に引きこもること10年。その間、ただひたすらパソコンと向き合って、人と話すのはお母さんとだけ、それも1日に二言三言。 そんな彼が、お母さんの強引さに負け、しぶしぶ北海道旅行に連れ出され、立ち寄った先がビバだった。お母さんは「息子を何とかしなくては」と必死で、インターネットで受け入れ施設を探していて、ビバハウスのホーム・ページを見たとたんに「ここだ!」と直感し、息子を連れて来たのだった。昨年の3月の事だった。
 はや1年が経った。F君はビバで、同じ道をたどって来た若者、逆に出っ張りで人との関係がつくれない若者、非行から立ち直ろうとしている若者、母親と死別しひとりぽっちになってしまった若者たちと出会った。「今の自分から少しでも前進したい」と、日々の努力を重ねる若者たちの姿に、F君も少しずつ人への不信感も薄れ、心を開き始めた。話しの輪に入れるようになった。オセロや将棋をやって、仲間と一緒に遊べるようになった。外に出て、余市教育福祉村の農作業のお手伝いをしたり、ビバハウスの敷地内の片付けや清掃など、屋外での労働にも参加できるようになった。鎌を使っての草刈も上手になったし、危険を伴う刈り払い機の操作も覚えて、敷地内だけでなく、近くの農家の方々が通る道の草刈まで手を伸ばせるようになった。
 他のメンバーとの会話の中で、すでに会社勤務経験のある、自分より年下の者から、『26にも成っているのに、一度も自分の手で稼いだことがないのか』と言われた事もあり、F君は心中深く自分もいつか稼げる人間になりたいと決意したという。 そんなある日、隣のりんご農家の方がビバへ訪ねて来た。「ビバハウスの周りの草刈は誰に頼んでいるのですか?」との質問。「ビバの若者達がやっているんです」の返事にビックリ!「こんなにキチンと上手に出来るのなら、秋にはリンゴもぎのアルバイトに是非来て欲しい」とのお言葉。F君は自分のやっている事に、少しずつ自信が持てるようになった。「秋までには自分の脚、腰を鍛え、お金をもらって働けるようにしなくては」と、他の農園にボランティアとして出かけ、仕事に精を出した。最初は10時から2時間、けれどもF君は、農家の人は8時から働くので、自分もその時間から働きますと、早朝からビバを出るようになった。そして秋を迎え、約束通り隣のリンゴ園で始めたアルバイト。初め、午前中2時間の労働から始め、4時間に。その内お昼をはさんで午後2時間、そして4時間へ最終的には合計で8時間働ける体へと持っていった。 彼はりんご園で働きながら、ホームヘルパー2級の養成講座を終了し、自分でハローワークで見つけた町内の特別養護老人ホームの介護員として、すでに数か月間の勤務についている。朝早く出て、夜遅く帰ってくる彼の健康が今は私の一番の心配事だ。でも彼のような青年に丁寧に介護してもらえるお年寄りの皆さんは本当に幸せだと信じている。

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28 雪解けを待つ

 今年の冬はこれまでになくゆっくりゆっくりと訪れた。ビバハウスでは今年の冬福岡、福井、愛知、東京、埼玉、山梨、長野、福島と本州からの若者が多かったので、北海道の冬の寒さになじむには幸いだった。少しずつ少しずつ冬に向かう心と体の準備が出来た。ビバの若者達は、日頃からよく食べ、お日様の元で働く努力をしたおかげで、冬も元気だった。昨年の12月、今年の1月と、余市町内でもインフルエンザが猛威を振るい、どこの病院も患者さんでいっぱいと言うときも、しっかりと働き続ける事が出来た。
 これまでの冬では、寒さと、さみしさと、楽しみの少ない日常生活に耐えられず、“春になったらまた来ます”と言ってビバを去る若者も複数いた。今年はおかげ様でひとりもいなかった。今年の冬は、これまでと違い、冬の期間を通して若者達に行く場所が有った事も幸いだった。ビバからわずか3・5キロほどのところの約7ヘクタールの土地の管理を京都の産婦人科医師の田中先生より任された。若者達は毎日雪をこいで何年も放置された廃屋の修理作業に取り組んだ。ようやくこの四月1日には、手狭になったビバハウス内のビバスコーレの教室から出てモンガク教室(余市町登町)を開設できる所まで来た。この場所で若者達は、焚き火をしたり、焼き芋を焼いたり、スノーシュー(西洋かんじき)で雪原を歩いたり、冬も家の中にこもらずに大自然の素晴らしさを満喫できた。
 私達にとっても今年の冬は格別に冬眠の出来ない冬になった。2月4日白老、8日静内、14,15日八雲とそれぞれ地域の皆さんからの強いお誘いを受けて、夫の運転で雪と氷の中を数百キロ走った。どこでも子供達や若者の為に真剣に取り組んでいる方がたの暖かい心に触れる事が出来、疲れも吹き飛んだ。新しい子供の健康を守る会が発足したり、地域のネットワーク作りのためのお手伝いが出来、今後も共に力を合わせて行けるきっかけができた事は本当にうれしい事だ。
 一転3月は、突然雪のない南国に飛ぶことになった。12日には、鹿児島に、15日には北九州小倉にいた。過疎と少子化で鹿児島の私学も存続の危機を迎えている。組合の先生方は、何としても廃校を阻止しようと、北星余市の教育による廃校を乗り越えた経験を語って欲しいと呼んでくださった。17年前九州で開かれた私学教組の過疎県対策会議で、北星余市の廃校阻止のたたかいを温かく支援して下さった先生方のご恩に報えるならばとお応えする事にした。 28日は和歌山市の全国初、社会的引きこもりの青年のための共同作業所、「エル・シティオ」のNPO認証記念講演に招かれ、夫と若者代表の森康彦さんと3人で参加する。代表の金城清弘先生達がビバを訪ねて下さったのが2年程前、「これならわれわれにも出来る」とかたく決意されて、わずかの期間に見事に立ち上げられた皆さんの団結力には本当におどろいた。私達が全国の皆さんと交流できるのも、「ビバハウス父母の会」の皆さんが留守番を交代に引き受けてくださる事で初めて可能になった。皆さんにただ感謝。
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27  M君はなぜビバハウスに来たのか?(2004,1) 

                       
 この冬初めての台風並みの低気圧が全道を襲い、大半が本州勢のビバの若者達に本物の冬の厳しさを教えてくれた。M君も内地組みのひとり、体も大きく健康そのもののように見え、対応も立派、なぜこの青年がわざわざビバを訪れて来たのか、正直不思議に思えた。けれどもわずか数日の共同生活の中で、彼の負っている外からは見えずらい苦しみがどれほどの物なのかを知らされた。以下彼が勇気をもって書いてくれた「ビバ入所記」をお読み頂きたい。
 「ビバハウスで暮らしている”M”です、24歳、身長176センチ、体重は97キロです。俺は20歳を迎える年の2月、19歳で入学した某有名大学系列の専門学校の環境工学科を、「勉強についていかれなくなった」「友達関係を築けなかった」の2つを「事実」と「理由」に、「東京の環境が体質的に合わなかった」のを「言い訳」にして中退。
故郷に帰って就職活動をし、程なくして「造り酒屋」に就職。しかし、床にできた小さな水溜りに足をとられ、左足首を傷める。4〜5日休み、痛みが消えて完治したと思っても、ちょっとした事で痛みは再発を繰り返し、会社を休みがちになり、気まずくなって、4ヶ月後に退職。その後も「道路交通誘導員」「コンビニエンスストア店員」等を転々とすること12〜13件程、そのほとんどが同じような理由で退職した。中には俺の体を心配してくれた上で退職を勧めてくれた人もいた。肉体労働系以外の仕事にも挑戦してみたが、ある所では「薬品アレルギー」が皮膚に出てしまった為に仕事ができなくなり退職・・・ 別の所では、求人票にも書かれておらず、面接の際に説明すら無かった肉体労働系の現場に理由を付けてまわされた挙句に、やはり足首を傷めて退職・・・と、言った事が数回程あった。退職した理由として「気まずくなったのもある」と言うと、家族や親戚は必ず「そんなこと気にするものじゃない」と笑って言ってくれるのだが、「気にしてしまうモノをどうする?」と言う俺の問いには必ず答えてくれない・・・
4つ目か5つ目の会社をやはり足首の負傷で退職した際「余りにも変だ」と言うことで、故郷にある日本赤十字病院の整形外科で、レントゲンを撮っての診察をしたことがある。その時は、故郷やその周辺ではかなり有名な名医の1人に診てもらったのだが、結局「全身の関節がゆるいのでは・・・」と、原因不明のまま終わってしまった。家族や親戚は「筋肉不足が悪い」と決め付け、俺に運動を薦め、俺は言われるままにするが、変化無し。
当時、俺の故郷はとてつもない就職難で、退職してすぐに次の仕事が見つかる訳は無く、職業安定所に行っても求人票自体がほとんど無いような始末。ヒドイ雇用条件になると「製造業 30歳以下で、経験5年以上」と言った物もあった位。足首に負担のかからない仕事として「事務職」もあたって見たのだが、電話口に口頭で「できれば、女性が欲しいんだよねぇ〜」と遠まわしに断られる。それ以外でようやく見つけて、職業安定所を通して面接までこぎ着けても不採用になる。そうして不採用になった所は30ヶ所を超えているだろう。そう言った事情や年齢・経験等を考えると結局は肉体労働しか無いので、就職するのだが、以下「堂々巡り」である。その内、3〜4日仕事に行っただけで腹の具合が悪くなるようになってきて、内科で調べてもらった所「ストレスから来る軽い十二指腸潰瘍」と言われた。
そんなことが4年近く続き、「仕事をする自信・気力」を初め「生きる気力」すら無くした俺は、秋序盤のある日、自転車に乗って1人で富士山を目指した、もちろん「死ぬ」ために・・・家を出て3日目、水だけを飲みながら富士山の麓に着いた俺は、真っ直ぐ樹海を目指したが、急に心細くなり、家に電話した・・・5時間後、方々を2人で探し回っていた両親が待ち合わせ場所に来て、まず思ったことは「死ね無かった・・・」だった。
それから、家族や親戚は俺が変わると期待し、信じてくれたのだが、大した変化も無く、せっかく決まった仕事も1ヶ月とせずに退職し、再び「生きる気力」を失いかけた時に、父がインターネットでこの「ビバハウス」を探し出し、俺に薦めた。
ここまで、ほぼ一気に書いてしまいましたが、大雑把に説明するとこんな感じです。
この文章の中には、誰にも・・・両親にも言えずに、心の奥底に仕舞い込み・押し殺していたモノもあります。ひょっとしたら、こう言った「場」だからこそ書けたのかも知れません・・・
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